抽象数学はつまみぐいである。(その3)
その表現どうり、各数学概念に共通する概念をつまみぐいして、集合と代数を用いて、
まとめるのである。
彌永昌吉先生の「数学のまなび方」を見てみよう。
75ページに公理というものは、ある既存あるいは実存のもについての命題体系を基礎づけるためのものではなく、むしろ積極的に、人為的に設定してそこから自由に体系を創造してゆこうと言う立場である。
私は、公理と言うものは、数学者が地道に、真理を求めて、深い研究の結果できたもの
だと思っていました。
しかし、そう言うものだけではないのです。こことここの共通するところを取ってきて
公理としてみよう、そうするとどうなるだろう?と設定していいのです。
優れた公理はのこり、つまらない公理は、捨て去られる。
そう言うふうに考え直したのです。すると厳書に書かれた抽象的公理が入りやすくなります。
それから、ひとつ下のやさしい表現をしている本に出会えれば抽象的公理にイメージがわくようになります。自分で考えだすとは、かなり他の本を読み込んだか?
脳がちがうのでしょう・・・
「数学のまなび方」にある、抽象的なものを具体化するの意味は、集合論を図にする事を意味しています。ですから、抽象的な定義・公理をいきなりイメージ化しようとする事は、危険なことです。かなりの周辺知識をもっていないと、抽象のわなにはまり、
数学をはなれる事につながるのです。ご注意あれ!